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田文さんと呉起のやり取りスコ
どちらも凄く優秀普通ならプライドがあるから素直に相手の優れてる所を認め自分の劣ってる所を中々認められないのに出来るのは凄いですね!
呉子第六篇『励士』編で武候が呉起のアドバイスを聞いて家臣を発奮させるために宴会の席で功績が最高の者の待遇は最前列でフルコース料理&家族への土産付きにしてその次の者(普通の功績の者)は真ん中の席で普通の皿に普通料理数品という待遇そして功績がないものは最後列で料理はちょっとだけにしたというエピソード、芸能人格付けチェックの解答席の待遇分けみたいで好きww
今日もありがとうございます。何だろう。有能な人材はある種の狂気をもはらんでいるんだろうなというのを前半生から感じさせられました。とは言え楚における呉起が行ったことは相当思い切った政治改革であり、その点は確かに評価されるものであるなと感じました。
田文って懐の深い人物だったんだな。鬼才呉起も納得するわな。
庇護者を失って命を落とした商鞅と呉起、亡命した楽毅や廉頗形は違えど生き延びた范蠡・范雎・王翦。使い捨てから如何にして逃れるのか?中国史は面白いですね
孟嘗君の人生に似ている戦に強い、宰相にまで登りつめても、最後が悲劇に終わるしかも、跡継ぎがいない魏も斉もその後は弱体化してしまうターニングポイントの人物ですね
動画の終わり方にはゾクゾクしました(笑)。まさかヤバい目付きのままの魔理沙が最後までひとりで残るとは思っていなかったので、恐怖と共に快感を覚えました。このようなスペシャルな仕掛けも、このチャンネルのユニークで興味深いところのひとつですねぇ!
呉起の解説、ありがとうございます。呉起の兵法書の解説もしていただいて、とても嬉しいです!新たな1面も知ることが出来ました。現代のビジネスにおいて、孫子は名声を馳せていますが、早すぎる悼王の崩御、大部分の兵法書の紛失がなければ、呉起の名声も孫子並みに馳せていたかも知れませんね。動画、とても面白かったです!!
才能があり過ぎた人だけど、他者に自らの行動を納得させることはできなかった。頑なさでなんとなく伍子胥を連想した。
落合みたいだな。
呉起は魏のイメージが強かったけど、最後は楚で絶命したのを思い出せた。わかりやすい良い解説でした。
悼王の亡骸の上に覆い被さって絶命するその最期のときにはきっと「このバカどもが」って嘲笑ってたんだろうと思いますよ。その言葉は、矢を射掛けてきた貴族たちだけじゃなくて、この世の中全てに向けられていたんじゃないでしょうかね?
文武共に言うことはない程すごいのはわかる死際でさえ相手を確実に葬る爆弾を即席で道具もなしに仕掛けることができたと言う点を見ると戦でも政でも計略、アドリブ共に出来る本当の天才だったんだろうなと企業に一人は欲しい逸材
今日は呉起ですか。大天才ですが、その才能ゆえに浮いていた人ですね。
奇才の持ち主でありながら性格に難あり・・・・法正さんの前世かな?と思ったら、遥かに激しい人物で草。改革をなすということは、山を貫くようなもんであり、斧で木をばっさばっさ切り倒し、道を塞ぐでかい岩はダイナマイトで吹っ飛ばすみたいなもの。当然倒木に押しつぶされたり、岩の破片で怪我する連中もいるけれど、一々気にしてたら仕事は進まない。乱世にはこのくらいの気骨がないと大事は為せないと思う一方。色々と不評や怨みを買ってしまうのもまた避けられないでしょうなあ。
毎回、楽しませてもらっています。後半、呉子の概略に触れていたのはとても良かったと思います。現代の経営学と漢籍には親和性があって、孫子のアプローチは広義のマーケティング(組織も含めた)論に通じ、呉子のアプローチは組織における連邦制の重要性を説く以前の組織論に通じると思います。楚つながりですが、項籍(羽)と同様に「組織が巨大になるまで」のスタートアップでは呉子のアプローチ(少数精鋭)が効果的で、組織が大きくなってくると、孫子のように「有機的な組織運用」が重要になり、それを(何も考えていないような)劉邦は部下に任せることで実現しました。経営学的観点からもどちらの組織が大きくなれるか(強くなる、ではない)という点で考えても、楚漢戦争の結果は決まっていたのかもしれません。
『ゴキ』とカタカナでイメージすると、嫌われっぷりの話がなぜか納得してしまう不思議。法家はむしろ老荘思想との関連性のほうがよく語られますよね。
改革が惜しくも頓挫したことで、改革を憎んだ保守派から悪評をデッチ上げられたのだと思いました。呉起は紛れもなく超天才です
いつも楽しい動画ありがとうございます!同じ法家の申不害も見てみたいです!
本当に三十人も殺してたら母親も郷里には居られなくなるだろうからなあ。「親が死んでも帰郷しないのは何かやらかしたんだろう」という噂の尾鰭が膨れ上がっていったんじゃないのかな。
そうですよね、幾ら春秋戦国時代といっても、殺人やってただじゃすまんですよね。
やっぱ戦国時代屈指の政治家、兵法家と思う。性格には難あれど、孫武と商鞅を一人でこなせるレベルなんではと勝ってに想像する。性格・人望も込みとするならまぁアレか。ただただ天命がなかった。悼王がもう少し長生きするか、後継者が強くその路線をそのまま採用していれば、楚が統一していてもおかしくなかったと妄想してしまう。
「何なのよこの背景」「細ヶーことはいいんだよ」で確かに何なのこの背景だったから初っ端から笑ってしまいgoodボタン^_^
19:15 呉起に人望がなかったと言うより、人望がありすぎて武侯より呉起に人々がなびくのを止めるためとの意見もある。いわゆる、天に日は2つあってはならないというやつ。
今回の中国史タイムも良かったです。近々、アンケートにもあった曽国藩をやってほしいですっ!
たしか宮城谷昌光の本で最後に遺骸は卿相の身として故郷に帰ったであろうと書かれてたのが感慨深かった
春秋戦国時代はとんでもない天才鬼才がいっぱい出てくるのが凄い。後の中国二千年超の方法論にゃ価値観をも規程してしまったように感じる。
中国史で一番面白いのは春秋戦国時代でしょうね。やはり国内が分裂して競争が激しいと優れたものが日の目を浴びるのでいいこと。ヨーロッパなんてローマ以降ずっと春秋戦国時代のようなもんなので世界最先端になったんでしょう。
無敗の軍師。非業の最期を遂げちゃったけど、死の直前の咄嗟の判断で、下手人を道連れにして引き分けに持っていくのは流石w
商鞅の死後も制度は維持した秦と元に戻った楚との差。公叔は秦を統一に導いた功労者だと思う。
@cazuhito Minami なかなか出来ない事ですよね。そういう土壌があるのがも知れないですね。魏は一代て終わったし。楚も春秋の超大国だったのに。優秀な人物が多かったし生かせた秦が抜け出るのは当然だったのかもしれません。
趙翼「洪武帝は一身において聖賢、豪傑、盗賊を兼ねた才物であり、呉起はこう、なんか、なんかすげぇ人、なんか、こう、めっちゃヤバイやんってなる人」
趙翼の伍子胥評を聞きたいw
@@プリンライス 趙翼「死人に鞭打つとか非効率だよね、ここはこう、文化大革命のときに万暦帝がされたように焼却処分しないと(錯乱)」
そろそろ殷以前の中国大陸や、少数民族の話を聞きたくなりました。
彼の存在が秦の商鞅の改革に直接的にも間接的にも影響与えたよな呉起が秦に痛打を与えて黄河を超えて河西へ大きく侵入した事が秦に大きな危機感を与えた事が改革の呼び水となり彼の改革の失敗が商鞅に取っての教訓となったのかも
孫子は軍団の数や質ではなく計算ずくのシステマティックに動かすのを要点として呉子は少数精鋭(恐らくは自身の采配で軍を自由自在に動かせれる限界の数)を心掛けたって感じだろうか
呉起良いですね。ただ強いとか一方向に優れていたわけではなく、全部がこの時代抜けていた人物は中々いないですよね。古代中国は記録が残っているものは面白いですね。
衛の国に生まれると、ちょっとやそっとの中途半端な策では国が存続しないからキレッキレの尖った策を考える必要があったのかもね。逆に弱小国すら生き延びさせるゴリゴリの策を大国でやると効果抜群だけど反動も大きいから後ろ指刺されて不遇の最期を迎える…的な。
これだけの人財を妬みとか誤解で手放すとか本当に人間とは愚か。そして才に優れたすごい人物を活かしきれるトップがなかなか居ないのも今も昔も変わらないもんですね。
史記で語られることだけでなく、韓非子の記述やそこから推察される評もあり、素晴らしい動画です。
呉起って戦国の時代だからこそ悪評第一とは言え、結果を残して賛否な人物で歴史に名を残せた人だと思う。知の面で色んな改革を進めるにしても、天下統一状態でこんな人間性ならただの奇人で変人扱いで終わってしまう。
10万を率いて敵無しは斉の桓公。7万を率いて敵無しは呉起。3万を率いて敵無しは孫武。秦では商鞅の改革が踏襲されて強国に至り、楚は呉起の死後元の旧体制に回帰して衰退していく。とは言え散々撃ち破った秦に行こうとは思わなかったのだろう。
世界史でもこう言う人間性の光と闇が両方凄い人ほど異常な天才だったりするよね。
天才が報われないって個人的に一番悲しいでもこの動画を秦紀七百年と対照して観るのは結構面白いあと名前繋がりで白起の解説動画も出して欲しいです
孫氏は儒家だからその点でも呉起とは違ってますね。孫氏は「良く戦う者は勢いに任じて人を責めず」とあり、個々の能力の高さよりもどのように使うかに重点置いた。
今回も素敵な動画をありがとうございました。古代中国は99.99%の人間が雑木の如く使い物にならないが、まれに0.01%の確率でとんでもない巨木大樹が生まれてきます。呉起はその中巨木の中でも更にずば抜けていますが、そのあまりの才能によって最後は自分の身を滅ぼしてしまった印象を自分は持っています。こういう人物を扱うには君主も並外れた度量がないと難しかったでしょう。ただ彼も後世の人たちによって理想像がいくつにも重ねてしまわれて、実像は乖離してしまっている可能性も大いにあるとも思いますね。
どこまでが事実かは分からないけど、孫武・孫臏の両孫氏エピソードより呉起のエピソードの方が連続ドラマみたいで好きです。昔は王侯貴族も血縁地縁が重要だったはずで、世襲権力に対して能力や正論だけで世渡りするのは大変だったと思う。現在の日本でもさほど有能でもない世襲国会議員がゴロゴロ国政に参加しているし。王政から民主制へ移行しても人間なんてこの程度。
全部知ってるエピソードだけど何回聞いても強烈すぎるw
冴えない容姿を馬鹿にされて一村皆殺しにした孟嘗君とか、母の遺言通りにして叩かれる陳寿とか、色々あるから……
呉起って本当に凄いですよね。戦だけなら韓信・白起も凄いですが呉起は政治も出来ますからね。
いつか銀雀山漢簡みたいに呉子を初めとした書物が発見されて欲しいものです
動画かなり面白かったです。「孫子」「呉子」どちらも有名な兵法書ですが、対照的な内容なんですね。現代でも途中入社組の経営者が、生え抜きの社員からいい印象を持たれないなんて話し聞きますし、人の営みは変わらないんですね。(笑)儒家VS法家の勢力争いも垣間見えて面白かったです。呉起サイコパス説もそういった背景なのか、そもそも本人がそういった性格を上手く使って出世したのか興味が尽きないですね。
一番好きな人物です!開幕5秒で高評価不可避!
いまさらなんですが、鳥人間って何なんだ?ふざけて付けた名前なのかなってずっときになってたんですが、秦の開祖って鳥人間だったんですね。ちゃんと意味あったんだ(驚愕)
李克って無条件の世襲の悪い面に、この時代で既に気が付いてるとかほんと有能だよね。現代でも特に政治家の世襲で笑えない人材とか世界中にわんさか。
実は民主的な選挙制度でも、国民の側が選択眼が無い場合には碌でもない政治家を選ぶ場合が多々あるんだよな。もちろん、民主的な今でも政治家が世襲できちゃうのは、どこの馬の骨か分からない人物を選ぶよりかは、親の基盤を受けついだ子供ならば、親と大差ない政策をしてくれるだろうっていう事の裏返しだし。
@@antiJJ その半分(準備八割さんが解説されてる部分)ってのが『出馬のハードル』ってやつで一般人では『会社やめて』『一から組織作って』そっから『自腹切って』いざ出馬・・・ってのは相当ハードル高いですもんね(少なくとも私はやらないw)で、しかもそっからもう一個ハードル(あと半分)あって、それがcold expさんが指摘されてる部分『実際の選挙(当選)のハ―ドル』というわけですね(余談ですがこの部分の指摘(名前だけで選挙受かる)はエディーマーフィー主演の映画『ホワイトハウス狂奏曲』が皮肉的に描いてる気がします(※)) 結果一般人が政治家になろうとした場合この二つのハードルのせいで制度上の文言(一般的には制度上手続きが整備されているかどうかをもって『民主主義国』『民主主義的制度』とされるんですが)以上に実際には敷居が高いという状態になっているわけですね(^_^;) ※原題の『The Distinguished Gentleman(著名な紳士)』というのはおそらくその辺も含めてのネーミングなのかなと思ってます。まあ作中の行為はほぼ詐欺で世襲はまだカワイイもんとも言えるんですが笑
@@kappanouen さん地盤、看板、カバン…「政治家の3バン」ってヤツですね。
あちこちでやったことの賛否はあろうとも残したものも大きいですねジェン鳥人間…新種かな?
サイコ野郎は確かにピッタリな表現ですね!サイコパス要素沢山ですもんね。
今現在の日本は孫子学による戦略だけを重視しているけど、呉子学による戦略も必要だと思う。例えば、税収の在り方でも相続税とかを廃止し、又、富国強兵の為の政策を学ぶべきなんだよ。というか、逆に、自らの身内や自身の保身を大切にする事で自然と富国強兵に繋がる事を忘れている。何でもかんでも規律による法家学問を重視し過ぎると固苦しくなるので、人徳による求心力が失う事もある。よって、富国強兵の為の政策を日本は行うべきだと思う。
呉起は「役に立つと見込んだものは人でも制度でも大いに愛し、足手まといなら即座に切る」という徹底した判断ができる人だったと思う。始皇帝や曹操のような革新の人には共通して見られる、完成された功利主義。田文に宰相の座を譲った後にごねていないようだし、田文もまた呉起に有能有益と見込まれたのだろう。
呉起の「兵士の膿を吸い出す」エピソードは現代でもある孫子の解説本でも出てますね。
伍子胥と商鞅のいいとこ取り(?)みたいな魅力的な人ですね。
魔理沙の目がやばくなるの好き。
こんな人物がいたのは知らなかった😃
嫌われすぎたって、不利益被った既得権者集団から嫌われただけじゃない?それに、呉起の生きた時代は、辱めの報復としての殺人なんて普通のことだと思う。まあ~、仕え支えた王に、謀反人として処刑された商鞅より、幸運だったとは思う。
合理的すぎて、その時代の人々の常識に合わなかったが故の嫌われ方って感じ。
津山事件か!の突込みに大爆笑してしまった
呉起とナポレオン・ボナパルトは通じるところがある人物です。ナポレオンはやはり孫子などを読んでいたと言う話もありますが兵士を慈しみエジプト戦役では感染リスクがあるにも関わらずペストに罹患した患者の集めた病院に見舞い看病を行ったり、また皇帝になっても若い時の下士官だった時代の軍服を好んで着て積極的に最前線にでて兵士たちを鼓舞しました。ナポレオンに心酔していた兵士の多いのも呉起と似ています、そしてナポレオンもまた欧州の既得権益の破壊者でした。そのためにナポレオンを嫌う人は蛇蝎のように嫌いました。ナポレオンも呉起も戦争に勝つためならあらゆる手段をとる人物だったという事です。
鳥人間さん、いつも素敵な力作をありがとうございます!呉起の性格は当時の保守層による多少の誇張はあるのかも知れませんが、あまり実物と変わらないかも知れないなと思いました。項羽と劉邦の比較における項羽ではないですが、あの方も優しさと苛烈さの振り幅が大きいようですし(それでもなお愛されている)、日本の戦国武将でも仁義の人とされる武将でも苛烈な逸話が残っているように聞きますので。今の世の中の価値観だと受け入れられない気もしますが、その苛烈なまでのエネルギーが良い方向に向かえば大事をなすということなのかなと。それと話は変わりますが、中央から外れた周縁国であり新興国である秦や楚が最終的に中華統一の王手をかけるに至る体制を備えた勢力になるという大きな流れが非常に興味深いなと思いました。さて、作中で言及されていた法家と儒家の関係性、是非お時間があればお聞きしたいです!!
孫子は読んだことがありますが呉子はありません、不勉強であることを痛感しています。何時かはと思っています。論語や孟子、荘子、韓非子、老子、荘子は読みました。
神宗と王安石のように残念でしたね。でも商鞅も衞の出身なので秦か楚が統一する二択だったのかもしれない(ロマン)
まぁ普通にサイコパスな面も持っていたのだろう。それが周りに理解者がおらず、改革まで行っているんだから恨まれて当然だし、死後に小さい悪事を大きく、無かったら作って流布されたのが今の形なんじゃないかと思う。
あんまり「ゴキ」を連発してやるなよ嫌われ者の「ゴキ」って言うと台所とかに出るアイツのことを思い浮かべるだろ
公叔痤と犀首(公孫衍)をよく取り違える私(犀首が公叔痤の別名と勘違いすること多しw)
誇張されているかもしれませんが、出世欲と上昇志向が強すぎて周囲に警戒されて、理解ある君主の元でないと働けなかった人物のように思えます。逆に君主も有能でも人望の薄い彼を利用していたのかもしれませんが。当然貴族社会への反発があったと考えられるので、楚での改革にはそういう経験が反映されているように見えます。呉起が既存の貴族層と仲良くやって宰相になれる人物なら、この改革とかやらなかったと思うので人間は万能じゃないなあと思いました
いろいろと報われない人だなぁ。兵の面倒見の良さからして、悪い人ではなさそうなんだが
うおおおおお!呉起キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
田文(偽物)、個人的には田文(本物)より好き
横山史記は多少ソフトになってるのか、色々他の資料も入ってるのか、離縁したになってたな。後、書は焼かないでお願い焼かないで(泣)といつも思うわ。
魯国は実力もないのに何選り好みしてるんだって感じですよねw戦国の世の中なんだから実力第一でしょうに…
史記を読んでも(横山光輝だが)、呉起はイマイチ好きになれなかったが、これほどの実践派はそうはいない。たるんだ組織、衰退しつつある企業には外部から来たこういう人が必要であるが、一部の人達から強烈に嫌われる。既得権を奪われた人達やきつく𠮟られた人達。
孫氏は大局、呉氏は対処法って感じがしないでもない
蛮人に食べられた衛の鶴公お願いします
天才は受け入れられんのかもな…
孫呉の兵法って聞くけど、孫子が戦略的で呉氏が戦術的というか軍隊運営法みたいな感じなのかな?
両方戦略的です。
一般的に言われているのが呉子が『具体論中心』なのに対し孫子が『抽象論中心(・・・といういい方だとイメージ悪いんで普遍論というか汎用論というか、そんなカンジ)』であるという事でしょうかそのあたりが『呉子→各論』『孫子→総論』といったイメージ(あくまでイメージですが)がある原因かと これは書物の内容より記述スタイルによる結果でありまして呉子が文体として『王様から具体的質問』→『呉起がそれに対して自説を回答する』の流れがメインなので話の内容がどうしても具体的(「車輪に油さしとけ」とまで細かい指摘がある笑)になるのに対し孫子が『孫子の戦争に対する分析・提言の独白』を文章としてまとめた形ですのでなんというか今日的でいう『解説書』的な構成になっています(※1)(まあ両書歴史的に編纂が繰り返されているはずなのでこの辺りは元々の形がそうであったのか、はたまた編集の過程でそうなったのかはわかりませんが。ちなみに孫子にも一か所(たぶん笑)だけ虚実篇に「越人の兵は多しと言えど・・・」とおそらくは当時の状況に対して(呉王に対し?)具体的に述べたと思しき箇所が残されています) で、内容の方なんですが実は両書似通った指摘も間々見受けられる(まあ当たり前か笑)んですが一点だけ、個人的に決定的に軍事思想として違うと思われる点を挙げるとするなら、戦闘における兵(部隊)自身の戦闘力に関するとらえ方で呉子がエリート主義で用兵において『兵(部隊)自身の戦闘力を重要視する』のに対し孫子が(無論兵が強いに越したことはないんですが)『兵自身の戦闘力は所与のものとし、むしろ最低限レベルの兵をいかに扱うか』という視点で論述している点です 呉子においてはくり返し兵各個人の特性(特技・気質)にまで着目し「より強い部隊(エリート部隊)の編制」への提言・こだわりが見られ、それにとどまらず「いかにして一般兵にも力を出させるか(部隊レベルの底上げ)」という視点が特徴的に見られます一方孫子においては「兵の強さで戦闘を有利に進める」という視点は特に強調されておらず(せいぜい『兵の信頼を得なさい』程度)、基本的に兵という集団は『一般人の集まりである』という視点で(兵各個人の特性ではなく)人間の生のままの特性に逆らわない(逆に言うと利用する)用兵術を説いています(※2) おそらくはどちらもフィクションでしょうが呉起の『兵の膿を吸ってやる気を出させた』エピソード孫子の『王の寵姫達を恐怖で統制したエピソード(※3)』などはこのあたりの事を象徴的に表現していると言えるのではないでしょうか ※1,余談ですが太公望の兵法書とされる『六韜』『三略』も両書『六韜→王様との質疑応答スタイル』『三略→解説書スタイル』という風に文体がわかれています※2,このあたりの分析から呉子を『法家的』孫子を『道家的』とみることができるかもしれません。まあこれは全体論の話で、もちろん呉子にも人間特性を利用した分析箇所、孫子にも信賞必罰に触れた箇所が存在するんですが※3,ちなみにこの時の孫武のようなふるまいは兵法書としての『孫子』の中では「やっちゃダメな事」として否定されていますwww(『孫子行軍篇』の中で「新任の指揮官がいきなり罰則を振り回す」のはNG🙅♀️と言っています(^_^;))
背中に矢を受けてしまってな。。。
「呉子」においてもやる気や必死さを重要視してるは、呉起の上昇志向な性格ゆえんですかね。知名度のわりに大したエピソードが伝わってない無い孫武に比べて、呉起の一生は波乱万丈でドラマチックで興味をそそります。「呉子」が元々48篇だったのが6篇しか現存してないのは残念ですが、孫臏の兵法書が曹操が言及せず「隋書」が書かれた唐代には完全に消えていたことから、早ければ後漢のころには散逸しており、その理由として戦国時代の戦争に対して具体的かつ実際的で孫武の兵法書より後世の人が応用しがたい内容だったと思われます。「呉子」も普遍性の高い内容の篇を中心に伝わったのかもしれません。曹操が「呉子」にも注釈してくれてればもっと多くの篇が伝わったかも、とつい思ってしまいます。
曹操「才あればウェルカムだ」
満チョウ丞相は、そなたの今まで使えた主君など、足元にも及ばない立派主君ですぞもし仕えれば、大将軍にも大臣にも貴方の才能なら夢ではありませんぞ呉起どうせ、なんか落ち度が合ったら、殺るきだろう鳳徳それがしは、二度も丞相を命を奪おうとしたのに許されて、将軍に抜擢されたぞ張リョウ拙者、斬首される寸前まで、丞相に悪態ついたのに許され、一国の将帥に抜擢されましたぞカクワイは、大事な丞相のご子息を計略で殺ったのに❓許されて、側近に抜擢されましたぞ呉起えっ❗マジ、天使か?もうこっちに仕えるわ?お願いします❗
なるほど!商鞅とかと比べると法律として残さなかった分、後の評価が劣る感じがしましたが、楚での時間がもっと長ければ随分違ってたのかも?というのは納得。それでも多くの兵法家の中で孫呉として有名なのは凄い!、ですが、やっぱ出世欲とか復讐心とか怖い部分が多い感じはします。
漢末覇業ってゲームのキャラつくるのに参考にしたい
なんか夏場の台所あたりに出没しそうな名前ですね。
きたきた〜おいら呉起好きばいウン(●´ϖ`●) ウン
今の中国はキライだけど中国史は好き
中国史見ると現在の中共も正に中国史の系譜なんだなと思う。好き嫌い抜きに。
凄く共感です。全くもってのただの私の感想ですがこれも三国志以降の異民族が中華に入り込んだことにより文明も滅茶苦茶になったのではと推測しています。
全部見てしまった・・・。中国の地理をお願いします!
田文「王はまだ若く不安があり、人民の信頼も得ていません。なので……」呉起「つまり君や王と違って実力も信頼もある俺が宰相になると、天に日が二つあるようなもんで王の権威が失墜すると。あーそういうことね、完全に理解した。田文ちゃんも良いこと言うじゃん!」田文「」
そりゃあゴキは嫌われ過ぎる程嫌われてますねえ(違
孫氏や六韜等は読んだけど、呉起のは読んでないですね。
ごき、がっき、はくき、ぎむき最後に"き"がつく奴は強い法則
後世の創作エピソードしかないのはどんな人物か何も分からないから話を作りやすいということなんだろな
死せる呉起・・・。生きて欲しかった。
出世するまでは故郷に帰りませんと約束してしまったからお母さんが死んでも帰れませんでした
秦末や三国志みたいな後の時代の乱世に、群雄として名乗りを上げていたら、天下すら取れる器な気がする。
王死す改革成らず而して史に宿命也。:+((*´艸`))+:。
このひとがもう15年魏の重鎮であったら、秦の統一もなかったかもね。
数ある兵法書の中でも特に孫子と呉子ばかりがここまで有名になった理由って何だろう?
呉起の伝記を昔見て確かに偉人なんだけど何か違和感あったのを覚えてます。おっしゃる通り今ではサイコパスと言うピッタリする表現ありますね。なんだかスッキリしました。
想像したのは漫画「ヒストリエ」の主人公エウメネスに出世欲を足した感じ…奴なら一人で30人くらい相手出来そうだし
田文さんと呉起のやり取りスコ
どちらも凄く優秀普通ならプライドがあるから素直に相手の優れてる所を認め自分の劣ってる所を中々認められないのに出来るのは凄いですね!
呉子第六篇『励士』編で武候が呉起のアドバイスを聞いて家臣を発奮させるために宴会の席で
功績が最高の者の待遇は最前列でフルコース料理&家族への土産付きにして
その次の者(普通の功績の者)は真ん中の席で普通の皿に普通料理数品という待遇
そして功績がないものは最後列で料理はちょっとだけにしたというエピソード、芸能人格付けチェックの解答席の待遇分けみたいで好きww
今日もありがとうございます。
何だろう。有能な人材はある種の狂気をもはらんでいるんだろうなというのを前半生から感じさせられました。とは言え楚における呉起が行ったことは相当思い切った政治改革であり、その点は確かに評価されるものであるなと感じました。
田文って懐の深い人物だったんだな。鬼才呉起も納得するわな。
庇護者を失って命を落とした商鞅と呉起、亡命した楽毅や廉頗
形は違えど生き延びた范蠡・范雎・王翦。
使い捨てから如何にして逃れるのか?中国史は面白いですね
孟嘗君の人生に似ている
戦に強い、宰相にまで登りつめても、最後が悲劇に終わる
しかも、跡継ぎがいない
魏も斉もその後は弱体化してしまう
ターニングポイントの人物ですね
動画の終わり方にはゾクゾクしました(笑)。まさかヤバい目付きのままの魔理沙が最後までひとりで残るとは思っていなかったので、恐怖と共に快感を覚えました。このようなスペシャルな仕掛けも、このチャンネルのユニークで興味深いところのひとつですねぇ!
呉起の解説、ありがとうございます。呉起の兵法書の解説もしていただいて、とても嬉しいです!新たな1面も知ることが出来ました。現代のビジネスにおいて、孫子は名声を馳せていますが、早すぎる悼王の崩御、大部分の兵法書の紛失がなければ、呉起の名声も孫子並みに馳せていたかも知れませんね。動画、とても面白かったです!!
才能があり過ぎた人だけど、他者に自らの行動を納得させることはできなかった。
頑なさでなんとなく伍子胥を連想した。
落合みたいだな。
呉起は魏のイメージが強かったけど、最後は楚で絶命したのを思い出せた。わかりやすい良い解説でした。
悼王の亡骸の上に覆い被さって絶命するその最期のときにはきっと「このバカどもが」って嘲笑ってたんだろうと思いますよ。
その言葉は、矢を射掛けてきた貴族たちだけじゃなくて、この世の中全てに向けられていたんじゃないでしょうかね?
文武共に言うことはない程すごいのはわかる
死際でさえ相手を確実に葬る爆弾を即席で道具もなしに仕掛けることができたと言う点を見ると戦でも政でも計略、アドリブ共に出来る本当の天才だったんだろうなと
企業に一人は欲しい逸材
今日は呉起ですか。大天才ですが、その才能ゆえに浮いていた人ですね。
奇才の持ち主でありながら性格に難あり・・・・法正さんの前世かな?と思ったら、遥かに激しい人物で草。
改革をなすということは、山を貫くようなもんであり、斧で木をばっさばっさ切り倒し、道を塞ぐでかい岩はダイナマイトで吹っ飛ばすみたいなもの。当然倒木に押しつぶされたり、岩の破片で怪我する連中もいるけれど、一々気にしてたら仕事は進まない。乱世にはこのくらいの気骨がないと大事は為せないと思う一方。色々と不評や怨みを買ってしまうのもまた避けられないでしょうなあ。
毎回、楽しませてもらっています。後半、呉子の概略に触れていたのはとても良かったと思います。
現代の経営学と漢籍には親和性があって、
孫子のアプローチは広義のマーケティング(組織も含めた)論に通じ、
呉子のアプローチは組織における連邦制の重要性を説く以前の組織論に通じると思います。
楚つながりですが、項籍(羽)と同様に「組織が巨大になるまで」のスタートアップでは呉子のアプローチ(少数精鋭)が効果的で、
組織が大きくなってくると、孫子のように「有機的な組織運用」が重要になり、それを(何も考えていないような)劉邦は部下に任せることで実現しました。
経営学的観点からもどちらの組織が大きくなれるか(強くなる、ではない)という点で考えても、楚漢戦争の結果は決まっていたのかもしれません。
『ゴキ』とカタカナでイメージすると、嫌われっぷりの話がなぜか納得してしまう不思議。
法家はむしろ老荘思想との関連性のほうがよく語られますよね。
改革が惜しくも頓挫したことで、改革を憎んだ保守派から悪評をデッチ上げられたのだと思いました。呉起は紛れもなく超天才です
いつも楽しい動画ありがとうございます!同じ法家の申不害も見てみたいです!
本当に三十人も殺してたら母親も郷里には居られなくなるだろうからなあ。「親が死んでも帰郷しないのは何かやらかしたんだろう」という噂の尾鰭が膨れ上がっていったんじゃないのかな。
そうですよね、幾ら春秋戦国時代といっても、殺人やってただじゃすまんですよね。
やっぱ戦国時代屈指の政治家、兵法家と思う。性格には難あれど、孫武と商鞅を一人でこなせるレベルなんではと勝ってに想像する。性格・人望も込みとするならまぁアレか。
ただただ天命がなかった。悼王がもう少し長生きするか、後継者が強くその路線をそのまま採用していれば、楚が統一していてもおかしくなかったと妄想してしまう。
「何なのよこの背景」「細ヶーことはいいんだよ」で確かに何なのこの背景だったから初っ端から笑ってしまいgoodボタン^_^
19:15 呉起に人望がなかったと言うより、人望がありすぎて武侯より呉起に人々がなびくのを止めるためとの意見もある。いわゆる、天に日は2つあってはならないというやつ。
今回の中国史タイムも良かったです。
近々、アンケートにもあった曽国藩をやってほしいですっ!
たしか宮城谷昌光の本で最後に
遺骸は卿相の身として故郷に帰ったであろうと書かれてたのが感慨深かった
春秋戦国時代はとんでもない天才鬼才がいっぱい出てくるのが凄い。後の中国二千年超の方法論にゃ価値観をも規程してしまったように感じる。
中国史で一番面白いのは春秋戦国時代でしょうね。やはり国内が分裂して競争が激しいと優れたものが日の目を浴びるのでいいこと。ヨーロッパなんてローマ以降ずっと春秋戦国時代のようなもんなので世界最先端になったんでしょう。
無敗の軍師。
非業の最期を遂げちゃったけど、死の直前の咄嗟の判断で、下手人を道連れにして引き分けに持っていくのは流石w
商鞅の死後も制度は維持した秦と元に戻った楚との差。
公叔は秦を統一に導いた功労者だと思う。
@cazuhito Minami
なかなか出来ない事ですよね。
そういう土壌があるのがも知れないですね。
魏は一代て終わったし。
楚も春秋の超大国だったのに。
優秀な人物が多かったし生かせた秦が抜け出るのは当然だったのかもしれません。
趙翼「洪武帝は一身において聖賢、豪傑、盗賊を兼ねた才物であり、呉起はこう、なんか、なんかすげぇ人、なんか、こう、めっちゃヤバイやんってなる人」
趙翼の伍子胥評を聞きたいw
@@プリンライス
趙翼「死人に鞭打つとか非効率だよね、ここはこう、文化大革命のときに万暦帝がされたように焼却処分しないと(錯乱)」
そろそろ殷以前の中国大陸や、少数民族の話を聞きたくなりました。
彼の存在が秦の商鞅の改革に直接的にも間接的にも影響与えたよな呉起が秦に痛打を与えて黄河を超えて河西へ大きく侵入した事が秦に大きな危機感を与えた事が改革の呼び水となり彼の改革の失敗が商鞅に取っての教訓となったのかも
孫子は軍団の数や質ではなく計算ずくのシステマティックに動かすのを要点として
呉子は少数精鋭(恐らくは自身の采配で軍を自由自在に動かせれる限界の数)を心掛けたって感じだろうか
呉起良いですね。ただ強いとか一方向に優れていたわけではなく、全部がこの時代抜けていた人物は中々いないですよね。古代中国は記録が残っているものは面白いですね。
衛の国に生まれると、ちょっとやそっとの中途半端な策では国が存続しないからキレッキレの尖った策を考える必要があったのかもね。逆に弱小国すら生き延びさせるゴリゴリの策を大国でやると効果抜群だけど反動も大きいから後ろ指刺されて不遇の最期を迎える…的な。
これだけの人財を妬みとか誤解で手放すとか本当に人間とは愚か。そして才に優れたすごい人物を活かしきれるトップがなかなか居ないのも今も昔も変わらないもんですね。
史記で語られることだけでなく、韓非子の記述やそこから推察される評もあり、素晴らしい動画です。
呉起って戦国の時代だからこそ悪評第一とは言え、結果を残して賛否な人物で歴史に名を残せた人だと思う。
知の面で色んな改革を進めるにしても、天下統一状態でこんな人間性ならただの奇人で変人扱いで終わってしまう。
10万を率いて敵無しは斉の桓公。
7万を率いて敵無しは呉起。
3万を率いて敵無しは孫武。
秦では商鞅の改革が踏襲されて強国に至り、楚は呉起の死後元の旧体制に回帰して衰退していく。とは言え散々撃ち破った秦に行こうとは思わなかったのだろう。
世界史でもこう言う人間性の光と闇が両方凄い人ほど異常な天才だったりするよね。
天才が報われないって個人的に一番悲しい
でもこの動画を秦紀七百年と対照して観るのは結構面白い
あと名前繋がりで白起の解説動画も出して欲しいです
孫氏は儒家だからその点でも呉起とは違ってますね。
孫氏は「良く戦う者は勢いに任じて人を責めず」とあり、個々の能力の高さよりもどのように使うかに重点置いた。
今回も素敵な動画をありがとうございました。
古代中国は99.99%の人間が雑木の如く使い物にならないが、まれに0.01%の確率でとんでもない巨木大樹が生まれてきます。呉起はその中巨木の中でも更にずば抜けていますが、そのあまりの才能によって最後は自分の身を滅ぼしてしまった印象を自分は持っています。
こういう人物を扱うには君主も並外れた度量がないと難しかったでしょう。ただ彼も後世の人たちによって理想像がいくつにも重ねてしまわれて、実像は乖離してしまっている可能性も大いにあるとも思いますね。
どこまでが事実かは分からないけど、孫武・孫臏の両孫氏エピソードより呉起のエピソードの方が連続ドラマみたいで好きです。昔は王侯貴族も血縁地縁が重要だったはずで、世襲権力に対して能力や正論だけで世渡りするのは大変だったと思う。現在の日本でもさほど有能でもない世襲国会議員がゴロゴロ国政に参加しているし。王政から民主制へ移行しても人間なんてこの程度。
全部知ってるエピソードだけど何回聞いても強烈すぎるw
冴えない容姿を馬鹿にされて一村皆殺しにした孟嘗君とか、母の遺言通りにして叩かれる陳寿とか、色々あるから……
呉起って本当に凄いですよね。
戦だけなら韓信・白起も凄いですが
呉起は政治も出来ますからね。
いつか銀雀山漢簡みたいに呉子を初めとした書物が発見されて欲しいものです
動画かなり面白かったです。「孫子」「呉子」どちらも有名な兵法書ですが、対照的な内容なんですね。現代でも途中入社組の経営者が、生え抜きの社員からいい印象を持たれないなんて話し聞きますし、人の営みは変わらないんですね。(笑)儒家VS法家の勢力争いも垣間見えて面白かったです。呉起サイコパス説もそういった背景なのか、そもそも本人がそういった性格を上手く使って出世したのか興味が尽きないですね。
一番好きな人物です!開幕5秒で高評価不可避!
いまさらなんですが、鳥人間って何なんだ?ふざけて付けた名前なのかなってずっときになってたんですが、秦の開祖って鳥人間だったんですね。ちゃんと意味あったんだ(驚愕)
李克って無条件の世襲の悪い面に、この時代で既に気が付いてるとかほんと有能だよね。
現代でも特に政治家の世襲で笑えない人材とか世界中にわんさか。
実は民主的な選挙制度でも、国民の側が選択眼が無い場合には碌でもない政治家を選ぶ場合が多々あるんだよな。
もちろん、民主的な今でも政治家が世襲できちゃうのは、どこの馬の骨か分からない人物を選ぶよりかは、親の基盤を受けついだ子供ならば、親と大差ない政策をしてくれるだろうっていう事の裏返しだし。
@@antiJJ その半分(準備八割さんが解説されてる部分)ってのが『出馬のハードル』ってやつで一般人では『会社やめて』『一から組織作って』そっから『自腹切って』いざ出馬・・・ってのは相当ハードル高いですもんね(少なくとも私はやらないw)
で、しかもそっからもう一個ハードル(あと半分)あって、それがcold expさんが指摘されてる部分『実際の選挙(当選)のハ―ドル』というわけですね(余談ですがこの部分の指摘(名前だけで選挙受かる)はエディーマーフィー主演の映画『ホワイトハウス狂奏曲』が皮肉的に描いてる気がします(※))
結果一般人が政治家になろうとした場合この二つのハードルのせいで制度上の文言(一般的には制度上手続きが整備されているかどうかをもって『民主主義国』『民主主義的制度』とされるんですが)以上に実際には敷居が高いという状態になっているわけですね(^_^;)
※原題の『The Distinguished Gentleman(著名な紳士)』というのはおそらくその辺も含めてのネーミングなのかなと思ってます。まあ作中の行為はほぼ詐欺で世襲はまだカワイイもんとも言えるんですが笑
@@kappanouen さん
地盤、看板、カバン…「政治家の3バン」ってヤツですね。
あちこちでやったことの賛否はあろうとも残したものも大きいですね
ジェン鳥人間…新種かな?
サイコ野郎は確かにピッタリな表現ですね!サイコパス要素沢山ですもんね。
今現在の日本は孫子学による戦略だけを重視しているけど、呉子学による戦略も必要だと思う。
例えば、
税収の在り方でも相続税とかを廃止し、又、富国強兵の為の政策を学ぶべきなんだよ。
というか、逆に、自らの身内や自身の保身を大切にする事で自然と富国強兵に繋がる事を忘れている。
何でもかんでも規律による法家学問を重視し過ぎると固苦しくなるので、人徳による求心力が失う事もある。
よって、富国強兵の為の政策を日本は行うべきだと思う。
呉起は「役に立つと見込んだものは人でも制度でも大いに愛し、足手まといなら即座に切る」という徹底した判断ができる人だったと思う。
始皇帝や曹操のような革新の人には共通して見られる、完成された功利主義。
田文に宰相の座を譲った後にごねていないようだし、田文もまた呉起に有能有益と見込まれたのだろう。
呉起の「兵士の膿を吸い出す」エピソードは現代でもある孫子の解説本でも出てますね。
伍子胥と商鞅のいいとこ取り(?)みたいな魅力的な人ですね。
魔理沙の目がやばくなるの好き。
こんな人物がいたのは知らなかった😃
嫌われすぎたって、
不利益被った既得権者集団から嫌われただけじゃない?
それに、呉起の生きた時代は、辱めの報復としての殺人なんて普通のことだと思う。
まあ~、仕え支えた王に、謀反人として処刑された商鞅より、幸運だったとは思う。
合理的すぎて、その時代の人々の常識に合わなかったが故の嫌われ方って感じ。
津山事件か!の突込みに大爆笑してしまった
呉起とナポレオン・ボナパルトは通じるところがある人物です。
ナポレオンはやはり孫子などを読んでいたと言う話もありますが兵士を慈しみエジプト戦役では感染リスクがあるにも関わらず
ペストに罹患した患者の集めた病院に見舞い看病を行ったり、また皇帝になっても若い時の下士官だった時代の軍服を好んで
着て積極的に最前線にでて兵士たちを鼓舞しました。
ナポレオンに心酔していた兵士の多いのも呉起と似ています、そしてナポレオンもまた欧州の既得権益の破壊者でした。
そのためにナポレオンを嫌う人は蛇蝎のように嫌いました。ナポレオンも呉起も戦争に勝つためならあらゆる手段をとる人物
だったという事です。
鳥人間さん、いつも素敵な力作をありがとうございます!
呉起の性格は当時の保守層による多少の誇張はあるのかも知れませんが、あまり実物と変わらないかも知れないなと思いました。項羽と劉邦の比較における項羽ではないですが、あの方も優しさと苛烈さの振り幅が大きいようですし(それでもなお愛されている)、日本の戦国武将でも仁義の人とされる武将でも苛烈な逸話が残っているように聞きますので。今の世の中の価値観だと受け入れられない気もしますが、その苛烈なまでのエネルギーが良い方向に向かえば大事をなすということなのかなと。
それと話は変わりますが、中央から外れた周縁国であり新興国である秦や楚が最終的に中華統一の王手をかけるに至る体制を備えた勢力になるという大きな流れが非常に興味深いなと思いました。
さて、作中で言及されていた法家と儒家の関係性、是非お時間があればお聞きしたいです!!
孫子は読んだことがありますが呉子はありません、不勉強であることを痛感しています。何時かはと思っています。論語や孟子、荘子、韓非子、老子、荘子は読みました。
神宗と王安石のように残念でしたね。でも商鞅も衞の出身なので秦か楚が統一する二択だったのかもしれない(ロマン)
まぁ普通にサイコパスな面も持っていたのだろう。
それが周りに理解者がおらず、改革まで行っているんだから恨まれて当然だし、死後に小さい悪事を大きく、無かったら作って流布されたのが今の形なんじゃないかと思う。
あんまり「ゴキ」を連発してやるなよ
嫌われ者の「ゴキ」って言うと台所とかに出るアイツのことを思い浮かべるだろ
公叔痤と犀首(公孫衍)をよく取り違える私(犀首が公叔痤の別名と勘違いすること多しw)
誇張されているかもしれませんが、出世欲と上昇志向が強すぎて周囲に警戒されて、理解ある君主の元でないと働けなかった人物のように思えます。逆に君主も有能でも人望の薄い彼を利用していたのかもしれませんが。
当然貴族社会への反発があったと考えられるので、楚での改革にはそういう経験が反映されているように見えます。呉起が既存の貴族層と仲良くやって宰相になれる人物なら、この改革とかやらなかったと思うので人間は万能じゃないなあと思いました
いろいろと報われない人だなぁ。兵の面倒見の良さからして、悪い人ではなさそうなんだが
うおおおおお!呉起キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
田文(偽物)、個人的には田文(本物)より好き
横山史記は多少ソフトになってるのか、色々他の資料も入ってるのか、離縁したになってたな。
後、書は焼かないでお願い焼かないで(泣)といつも思うわ。
魯国は実力もないのに何選り好みしてるんだって感じですよねw
戦国の世の中なんだから実力第一でしょうに…
史記を読んでも(横山光輝だが)、呉起はイマイチ好きになれなかったが、これほどの実践派はそうはいない。
たるんだ組織、衰退しつつある企業には外部から来たこういう人が必要であるが、一部の人達から強烈に嫌われる。既得権を奪われた人達やきつく𠮟られた人達。
孫氏は大局、呉氏は対処法って感じがしないでもない
蛮人に食べられた衛の鶴公お願いします
天才は受け入れられんのかもな…
孫呉の兵法って聞くけど、孫子が戦略的で呉氏が戦術的というか軍隊運営法みたいな感じなのかな?
両方戦略的です。
一般的に言われているのが呉子が『具体論中心』なのに対し孫子が『抽象論中心(・・・といういい方だとイメージ悪いんで普遍論というか汎用論というか、そんなカンジ)』であるという事でしょうか
そのあたりが『呉子→各論』『孫子→総論』といったイメージ(あくまでイメージですが)がある原因かと
これは書物の内容より記述スタイルによる結果でありまして
呉子が文体として『王様から具体的質問』→『呉起がそれに対して自説を回答する』の流れがメインなので話の内容がどうしても具体的(「車輪に油さしとけ」とまで細かい指摘がある笑)になるのに対し
孫子が『孫子の戦争に対する分析・提言の独白』を文章としてまとめた形ですのでなんというか今日的でいう『解説書』的な構成になっています(※1)
(まあ両書歴史的に編纂が繰り返されているはずなのでこの辺りは元々の形がそうであったのか、はたまた編集の過程でそうなったのかはわかりませんが。ちなみに孫子にも一か所(たぶん笑)だけ虚実篇に「越人の兵は多しと言えど・・・」とおそらくは当時の状況に対して(呉王に対し?)具体的に述べたと思しき箇所が残されています)
で、内容の方なんですが実は両書似通った指摘も間々見受けられる(まあ当たり前か笑)んですが
一点だけ、個人的に決定的に軍事思想として違うと思われる点を挙げるとするなら、戦闘における兵(部隊)自身の戦闘力に関するとらえ方で
呉子がエリート主義で用兵において『兵(部隊)自身の戦闘力を重要視する』のに対し
孫子が(無論兵が強いに越したことはないんですが)『兵自身の戦闘力は所与のものとし、むしろ最低限レベルの兵をいかに扱うか』という視点で論述している点です
呉子においてはくり返し兵各個人の特性(特技・気質)にまで着目し「より強い部隊(エリート部隊)の編制」への提言・こだわりが見られ、それにとどまらず「いかにして一般兵にも力を出させるか(部隊レベルの底上げ)」という視点が特徴的に見られます
一方孫子においては「兵の強さで戦闘を有利に進める」という視点は特に強調されておらず(せいぜい『兵の信頼を得なさい』程度)、基本的に兵という集団は『一般人の集まりである』という視点で(兵各個人の特性ではなく)人間の生のままの特性に逆らわない(逆に言うと利用する)用兵術を説いています(※2)
おそらくはどちらもフィクションでしょうが呉起の『兵の膿を吸ってやる気を出させた』エピソード
孫子の『王の寵姫達を恐怖で統制したエピソード(※3)』などはこのあたりの事を象徴的に表現していると言えるのではないでしょうか
※1,余談ですが太公望の兵法書とされる『六韜』『三略』も両書『六韜→王様との質疑応答スタイル』『三略→解説書スタイル』という風に文体がわかれています
※2,このあたりの分析から呉子を『法家的』孫子を『道家的』とみることができるかもしれません。まあこれは全体論の話で、もちろん呉子にも人間特性を利用した分析箇所、孫子にも信賞必罰に触れた箇所が存在するんですが
※3,ちなみにこの時の孫武のようなふるまいは兵法書としての『孫子』の中では「やっちゃダメな事」として否定されていますwww(『孫子行軍篇』の中で「新任の指揮官がいきなり罰則を振り回す」のはNG🙅♀️と言っています(^_^;))
背中に矢を受けてしまってな。。。
「呉子」においてもやる気や必死さを重要視してるは、呉起の上昇志向な性格ゆえんですかね。知名度のわりに大したエピソードが伝わってない無い孫武に比べて、呉起の一生は波乱万丈でドラマチックで興味をそそります。
「呉子」が元々48篇だったのが6篇しか現存してないのは残念ですが、孫臏の兵法書が曹操が言及せず「隋書」が書かれた唐代には完全に消えていたことから、早ければ後漢のころには散逸しており、その理由として戦国時代の戦争に対して具体的かつ実際的で孫武の兵法書より後世の人が応用しがたい内容だったと思われます。
「呉子」も普遍性の高い内容の篇を中心に伝わったのかもしれません。
曹操が「呉子」にも注釈してくれてればもっと多くの篇が伝わったかも、とつい思ってしまいます。
曹操「才あればウェルカムだ」
満チョウ
丞相は、そなたの今まで使えた主君など、足元にも及ばない
立派主君ですぞ
もし仕えれば、大将軍にも大臣にも貴方の才能なら夢ではありませんぞ
呉起
どうせ、なんか落ち度が合ったら、殺るきだろう
鳳徳
それがしは、二度も丞相を命を奪おうとしたのに
許されて、将軍に抜擢されたぞ
張リョウ
拙者、斬首される寸前まで、丞相に悪態ついたのに
許され、一国の将帥に抜擢されましたぞ
カク
ワイは、大事な丞相のご子息を計略で殺ったのに❓
許されて、側近に抜擢されましたぞ
呉起
えっ❗マジ、天使か?もうこっちに
仕えるわ?
お願いします❗
なるほど!商鞅とかと比べると法律として残さなかった分、後の評価が劣る感じがしましたが、楚での時間がもっと長ければ随分違ってたのかも?というのは納得。
それでも多くの兵法家の中で孫呉として有名なのは凄い!、ですが、やっぱ出世欲とか復讐心とか怖い部分が多い感じはします。
漢末覇業ってゲームのキャラつくるのに参考にしたい
なんか夏場の台所あたりに出没しそうな名前ですね。
きたきた〜
おいら呉起好きばい
ウン(●´ϖ`●) ウン
今の中国はキライだけど中国史は好き
中国史見ると現在の中共も正に中国史の系譜なんだなと思う。
好き嫌い抜きに。
凄く共感です。
全くもってのただの私の感想ですが
これも三国志以降の異民族が中華に入り込んだことにより文明も滅茶苦茶になったのではと推測しています。
全部見てしまった・・・。中国の地理をお願いします!
田文「王はまだ若く不安があり、人民の信頼も得ていません。なので……」
呉起「つまり君や王と違って実力も信頼もある俺が宰相になると、天に日が二つあるようなもんで王の権威が失墜すると。あーそういうことね、完全に理解した。田文ちゃんも良いこと言うじゃん!」
田文「」
そりゃあゴキは嫌われ過ぎる程嫌われてますねえ(違
孫氏や六韜等は読んだけど、呉起のは読んでないですね。
ごき、がっき、はくき、ぎむき
最後に"き"がつく奴は強い法則
後世の創作エピソードしかないのはどんな人物か何も分からないから話を作りやすいということなんだろな
死せる呉起・・・。生きて欲しかった。
出世するまでは故郷に帰りませんと約束してしまったからお母さんが死んでも帰れませんでした
秦末や三国志みたいな後の時代の乱世に、群雄として名乗りを上げていたら、天下すら取れる器な気がする。
王
死す
改革
成らず
而して
史に宿命也
。:+((*´艸`))+:。
このひとがもう15年魏の重鎮であったら、秦の統一もなかったかもね。
数ある兵法書の中でも特に孫子と呉子ばかりがここまで有名になった理由って何だろう?
呉起の伝記を昔見て確かに偉人なんだけど何か違和感あったのを覚えてます。おっしゃる通り今ではサイコパスと言うピッタリする表現ありますね。なんだかスッキリしました。
想像したのは漫画「ヒストリエ」の主人公エウメネスに出世欲を足した感じ…奴なら一人で30人くらい相手出来そうだし